借金まみれの金田なし子は、売れない芸人の嫁

このブログは、夫が一生売れない芸人でアルバイターの為、生活が苦しく子供と夫と自分を養う為にした借金を必死で返済していくブログです。

二つめのターニングポイントも間違えた選択をした。

どうも金田です。

 

台風一過ってどこへいったのでしょうか?

昔は台風から一夜明けると爽やかな晴天が広がり、みんな外へ出て落ち葉の片付けをしながら近所の人と「台風凄かったね~」なんて言いながら乗り越えた話をした一体感がありましたが、今はなんか、台風過ぎても晴れませんね。

 

気分も晴れません。

 

 

さて、本題。

 

 

私はこの時の事を今も後悔している。

子供がわけわからん内に別れるべきだったと

あれから何かがあるたびに思う様になった。

 

浮気をされて、義父、義母の前で夫に怒り狂い、もう何もかもが嫌になった私は、夫と一緒にいたくなかったので夫を実家に戻らせ赤ちゃんと2人マンションで1ヶ月過ごした。

 

1ヶ月の間に、ずっと疎遠だった友達に会いに行った。

結婚した事も妊娠した事も知らせてなかったが、友達はみんな私が子供を産んだ事を知っていた。

そりゃあ、こんなに小さな町だからバレない方がおかしいのだけど、

友達はみんな私が何も言わないのが何か理由があると思い追求せずにほっといてくれていた。

 

友達のありがたみと、優しさが身に沁みた。

 

みんな私の事を信じてを待ってくれていた。

 

ただ、その時の私はもうすでに夫と別れて赤ちゃんと死のうと考えていたので友達の優しさが痛かった。

 

毎日の様に赤ちゃん連れで友達と遊び周り

帰ったら真っ暗な部屋で泣きながら過ごす。

 

躁と鬱の繰り返しの毎日だった。

 

赤ちゃんを育てる環境には1番相応しくない状態だった。

赤ちゃんには離乳食を作らなければならなかったけど、キッチンに立つと夫と女のメールのやり取りが頭に次から次へ浮かんできて、

立てなくなって号泣する、、、の繰り返しだったので離乳食はレトルトに頼らざる得なかった。

私自身は大食いをしてみたり、吐いたり、

麺類ばかり食べたり、大量に服を買ったりと

リボを利用してお金を使って行った。

 

、、、どうせ死ぬんだし。

 

そればかり思った。

 

だけど、まだ生きるのにも執着していて保育園を探したりしていた。

 

夫は毎日、玄関前に謝りに来て手紙を入れてまた実家に帰る生活をしていた。

 

 

まあ、7年経った今も表題にあるが如く「芸人の嫁」なわけで、そののち私達夫婦はやり直すのですが、その時の傷はまだ私の脳裏に焼き付いています。

許せたかと言うと許せていないのが本当の気持ちです。

 

この浮気の後、まだまだ不幸が続いていくのです。

 

浮気をされると妻がどうなるかわかりますか?

どうも、金田です。

台風被害や震災や、こう自然災害のニュースが続くと自分の辛い話をしていいのかと思い悩みます。

 

人と比べても仕方ないとは思ってるのですが、こんな私の悩みなどちっぽけなものなんだろうなと。

 

だけど、書かずにはいられないし、

やっと吐き出す場所を見つけたのでどうか読んでやって下さい。

 

 

では、本題を。

 

夫の浮気に悩みながらも、すぐ問いたださず相手のことを色々探っていると様々な事がわかってきました。

 

実は浮気女は、元カノだったのです。

 

元々、その女と先に付き合ってて、なんやかんや上手くいかなくて喧嘩や何やらしてたところにたまたま現れた私。

夫は、その女と別れ話までいってたので私にモーションをかけ、私と付き合う様になったが、女は別れたとは思っていなくて喧嘩の後仲直り出来ると思ってたらしい。

 

なので女は、夫が結婚した事も子供が出来た事も知らなかった。

 

そして何より問題は、

ずっと続いてた事だった。

 

 

ファンに知らせたくないからと言われたのも実はウソで、この女に知らせず二重生活を続けたいと思っていたから。

 

単独ライブの金も一部はこの女と遊ぶ為の金だった。

 

 

つまりは、私の方が後釜だった。

 

 

 

、、、、私は発狂した。

 

 

許せなかった。

義母にも沢山酷いことを言われたが我慢したのに。

赤ちゃんも1人で一生懸命、朝も夜も無く育てていたのに。

 

 

 

義父、義母の家に行き、

夫を呼び出し

知り得た全ての情報をA4用紙にプリントアウトして机の上に叩きつけた。

 

抱っこ紐で前向き抱っこしていた赤ちゃんが

その叩きつけた音に怯えて泣いていたのを覚えてる。

 

寒い日だったのに私の手は汗だくで涙が次々溢れてきて悔しくて苦しくて

もう何もかも終わりだと思った。

 

赤ちゃんと死のうと思った。

 

耐えられなかった。

 

 

自分から好きになった訳でもなく、すごく言い寄ってくるから付き合い、2回の行為で子供が出来、結婚する事になったのに、義父や義母に認めてもらえず、誰にも内緒にし、

それでも耐えてきたのに、

 

 

最初から、最初から夫は私を裏切っていたのだから。

 

 

話し合いは夜中まで続いた。

途中赤ちゃんにミルクをあげたりオムツを替えたりしながらの話し合いは情けなかった。

 

あんなに強気だった義母もなんだかオロオロしていて、それはなんかスッとした。

 

 

元来、私は平和主義者で人と争うのが大嫌いだ。自分が我慢しさえすれば上手くいくのであればずっとそうしてきた。

 

でも、これは人生最大に怒りを見せた。

 

 

そしてその頃もう、借金は当たり前の事になっていた。

証拠と離婚への思いと過去の経験。

どうも金田です。

 

ここ10年、災害が多い感じがするのは、

私の気のせいでしょうか?

私の住む町は一応、電気などは復旧しましたが、皆さんの町はどうですか?

 

災害の後はなかなか気分が上がりませんね。

まだまだ大変な地域もあるので心中お察しします。

 

 

さて、本題です。

 

浮気を見つけたといっても、そのメールだけでははぐらかされると思った私は、すぐに夫を問いただす事はしませんでした。

なんとかシッポをつかもうと、しばらく泳がせました。

 

離婚するにもきちんと証拠を残しておかねばと冷静に判断する一方で、

裏切られ続けている事への怒り、苦しみ、悲しみが押し寄せ、

赤ちゃんに夜泣きされたり、育児疲れも相まって、この頃の私はかなりの鬱状態でした。

 

夫が赤ちゃんに触れるたびに

女に触れてきたその手で赤ちゃんに、、、

と思うと頭を掻き毟りたくなるぐらい苦しみました。

 

 

お風呂に入っている間に携帯のロックを外すと、女とのやりとりのメールがすぐ見つかりました。

アホみたいにメイドの格好をした女が写真に写っていました。

7年経った今もそのアホでいやらしいやりとりと、あのアホな写真を思い出すと吐いてしまいます。

 

私は全てのやりとりを自分の携帯で写真に撮り残しました。

 

 

それでも私はまだ夫に証拠を突きつけず

自分の中で悩んでいました。

 

別れるべきか、別れないのか。

 

その答えを出すまでは言うべきではないのでは、、とも考えていました。

 

 

私の事だけで考えれば別れた方がいいに決まってるのですが、子供の事を考えると安易に答えを出せませんでした。

 

というのも、私の母は離婚していて

私が小学生の頃は離婚している親というのが珍しく、同級生に親がいないという事で

イジメられていたのです。

 

今はシングルマザーは珍しく無いとはいえ、

私が小学生の時に味わったあの苦しみや悲しみを、同じように自分の子供に味あわせたくなかったので、証拠を突きつけるべきか悩みまくりました。

 

まだ3ヶ月なのに、、、夫の裏切りに嘔吐。

どうも。金田です。

 

昨日は久しぶりに記事更新をしませんでした。

 

私のような日記ブログは多分毎日更新してナンボだと思うのですが、ニュースで見る様々な惨状に、なんだかブログを更新する気になれませんでした。

 

今も尚、大変な状況の方がいらっしゃるのにいいのかしら?

と思いながら書いていますが、書く事で今まで耐えて来た気持ちの禊をしていますので、どうか許してください。

 

 

 

さて、本題です。

 

赤ちゃんに奮闘の日々が続いていたある日、

なんかわからんのですが、夫の言葉に「おや?」と思う違和感を感じました。

 

何がどうって訳ではないのですが、ほんとに

なんかおかしい、、、って感じでした。

 

赤ちゃんには優しく接してくれているし、

家にいる時は私にも優しいのに、

 

なぜか、

なんだかわからぬ焦燥感に襲われました。

 

自分の変化に自分でついていけないから

産後うつが出たのかとも思いましたが

なんか、違う。

 

なんかおかしい。

 

そう思って毎日を過ごしていました。

 

 

夫はなぜだか毎日忙しくなって、

夜、ほとんど家にいませんでした。

帰ってくるのも夜中だったり、明け方だったりしていました。

 

 

お金にならないのに。

 

その時は呆れながらも練習をがんばる夫を

支えよう。そう思っていました。

 

 

赤ちゃんの世話はほぼ一人でしていました。

6ヶ月から保育園に預けられると知り、

残りの数ヶ月を噛みしめるように大切にしていたある日、

 

 

いつもの様に夜中に帰って爆睡していた夫の携帯がピロリン♪と音を立てたので

見るとメールの内容の一部が見えていたのです。

 

 

 

「今まで会ってたのにすぐ会いたくなる。

大好きまた明日会おうね。、、」

 

 

文章はまだ何か続いていましたが全ては見えませんでした。

 

私は頭が真っ白になりました。

 

 

え?

 

 

何?

 

どういうこと?

 

 

全く把握出来ないまま、とにかく証拠を残さねばとその文章を自分の携帯のカメラで撮りました。

 

 

 

 

夫は練習などしていなかったのです。

浮気をしていたのです。

まだ結婚して10ヶ月、赤ちゃんが産まれて3ヶ月しか経っていないのに。

 

 

 

浮気をしていたのです。

 

 

 

虫唾が走り悪寒がして

 

夜泣きする赤ちゃんを抱きながらトイレで嘔吐しました。

 

 

夫はそんなことも知らず別の部屋で健やかに寝ていました。

 

 

 

 

 

号泣しながらの断乳。

無事、赤ちゃんが産まれ、私は育児に奮闘する日々が続いた。

正直、赤ちゃんを「かわいいっ!」なんて思うヒマは1日の内5分程だった。

後は全部、振り回されてる感じだった。

 

その頃から、夫は、単独ライブの練習とやらに励む日々が続いて、

家にいる時は赤ちゃんを見ててはくれるが、

家にいる事自体が少なくなった。

 

私は育児休暇なので家に朝から晩までずっと赤ちゃんといた。

とても閉塞感を感じていた。

そして、仕事はしなくても7割程の給料は入ってくるのに、

夫には

「一日中赤ちゃんと一緒に家にいるだけなんていいね。」

と言われた。

 

今なら

バイトのお前が何言うとんねん!

ワレ~(〝)=3 

 

って毒づけるかもしれないけど、

私はすっかり「結婚してもらった人」みたいになってて、自分自身も一切社会から切り離された気分になり、どんどん落ち込んで行った。

 

金銭的にも、自分の気持ち的にも

 

早く働かねば!!!

 

と考え、早く母乳を絶ってミルクで誰でも赤ちゃんに栄養があげられるようにと婦人科で頼んで母乳が出なくなる薬をもらい産後1週間で母乳を絶った。

 

薬をもらう時、先生から

「飲むと、ほんとにお乳出なくなりますよ。

いいんですか?まだ1週間ですよ?」

と心配され、

 

助産師さんからは、

「今の時代は卒乳の時代なのに!!赤ちゃんがかわいそう!」

とまで言われた。

 

もらったお薬を飲む時は、

 

『早く!早く働くんだ!』の気持ちと

『こんな母親でごめんなさい』の気持ちで

ワーワーと子供の様に声を上げて泣きながらお乳をやめた。

 

自分で決めた事なのに、私はすっかり被害者な気分だった。

 

一日中赤ちゃんと家にいる事と、夫が夜型だった為に、電気代や水道代、ガス代も独身の時の倍に跳ね上がってた。

 

それでも夫は、バイト君のままで

 

「芸人として有名になるまで夢を諦めない!」と、はりきっていた。

 

私は、何としても早く働きに出て支えなければ、赤ちゃんにもツライ思いをさせない様にしなければ。。。とばかり考えていた。

 

跳ね上がった光熱費、高い家賃、赤ちゃんに必要なものの購入などなど、家計はどんどん逼迫していった。

 

その頃から少しづつカードのショッピング枠を使う様になっていった。

 

 

 

 

そして出産。幸せと不安と混沌と。

どうも、金田です。

最近、ツイッターで以前からブログを読ませて頂いていた方から「フォロー」の申請があり、嬉し過ぎて興奮しました。

 

興奮し過ぎて「ありがとうメッセージ」を送ったのですが、嬉しさが空回りして、ちょいキモいメッセージになってしまいました。

 

感謝の気持ちを伝える度合いって難しいですね。

自分がキモいヤツでは無いです!っつっても

説得力ゼロだし、ね。

 

 

さて、本題です。

 

キャッシングを6万した私。

だけど、やはり、心の中ではまだ6万って思ってた。

そろそろ産休に入り、出産に備えていた。

 

高齢出産だし、(元アメブロの読者様には伝えたけど)妊娠中ヘルペスになったことでさらに

危険度は上がり、友人にも会えなくて、

不安はマックスだった。

 

 

、、、、お願い!!

 

とにかく、元気で産まれて来て!

 

 

その時の私は、赤ちゃんの為と言うより

義母にこれ以上、けなされるのが耐えられなかったから祈っていたような気がする。

 

 

出産の間、夫と実母がローカで待ってくれていた。

 

私は、出産でも弱音を吐かなかった。

 

夫は「もっとテレビとかではみんな叫んでるから凄いのかと思ったけど、大したことなくて良かったね。」

 

悪気なくそう言った。

 

誰かに頼ったり、弱音を吐いたり、

もっとすれば良かったんだ。

 

もう、今となっては遅いけど。

 

 

初めてしたキャッシングの事、

これからのお金の事、

仕事の事、

家族の事、

色々モヤモヤしながら出産した。

 

 

赤ちゃんは、とても柔らかくて小さくて

ほんとにかわいくて、大切に育てていかなければ。。。と思った。

 

赤ちゃんが産まれた後、部屋に呼ばれた夫はまた喜びに泣いていた。

 

ああ、愛おしく思ってくれてるんだ。

 

そう思うと嬉しくて私も泣いた。

 

本当に幸せだったんだ。

産まれくる命が愛おしくて、義母に嫌われていようと、何があろうとがんばろうと誓っていた。

 

 

、、、のちに、何があろうと、、は、ムリだと実感するけど、この時は気付かなかった。

最初の発作。

どうも金田です。

皆さんたくさん見に来て頂きありがとうございます。

 

いつも携帯のメモ機能を使って書いているので改行の場所とか、読みにくい文章なのに、こんなにたくさんの人が見に来て下さる事に感謝しています。

 

まだまだ未熟者ですが、少しずつ色々改善していきますので、これからも、よろしくお願いします。(人´`)

 

 

 

さて、本題。

 

臨月を迎え、もういつ産まれてもおかしくない状態になっても働き続けていました。

赤ちゃんのものを準備したら、貯金はほぼゼロになっていたので、これからの生活に不安しか無かったので働き続けていました。

 

毎日、毎日、大きなお腹を突き出しながら

ふぃふぃ言いながらも仕事をしながら

なんとか、なんとか生活を立て直そう。

節約しようとしていました。

 

夫にはもちろん

私の貯金を使い果たした経緯や、これから子供に関わるお金が沢山かかることも事あるごとに説明していましたが、まるで他人事の様でした。

 

 

そんなある日、

寝ていると、夜中の2時頃に急に夫が隣のベッドでバタンバタンと音を立てながら陸に上がった魚の様に体をくねりながら、嗚咽をあげていました。

 

Σ(OωO )

 

私は何事かわからず、ビックリして飛び起きました。

「大丈夫?!なあ?大丈夫?!どうしたん?

どっか痛いの?!!

救急車呼ぼうか?病院いこう!!!」

:(;゙゚'):

 

 

 

もうその時は、何がなんだかわからずとにかく焦りまくりました。

 

夫が水を要求したので飲ませると、少しは落ち着いたのですが、泣きながら

 

「どうしよう。どうしよう。どうしよう。」

 

と繰り返しながら、自分の親指をかなり強い感じで噛んでいました。

 

 

、、、ちなみに、引っ張っても仕方ないので言いますが、これは夫の発作です。

まあ、言えばヒステリー発作みたいなもので

自分の気に入らない事や、出来ないこと、意見が通らないとこうなります。

これは今でもちょくちょく起こす発作で

今となっては私も「はいはい。」で通すのですが、この時は初めてだったので私も焦りました。

 

夫はこうやって、自分が困ったり、意見が通らないと精神の病のふりをします。

 

いや、まあ、病んでると言えば充分病んでるんですが、親指噛むのも痛くない程度だし、

ちゃんと自分がケガしないように計算してるし、ほんと、めんどくさいです。

 

 

 

、、、で、当時の私はその発作を知らんし慌てまくって

「どうしたん?ねぇ、どうしたん?!」

 

と体の方を心配し、優しく声をかけました。

 

するとさっきまであんなに苦しんでいたはずの夫が泣きながら(嘘泣き。当時はわからなかった。)

 

「単独ライブする時の、チケットノルマがクリア出来へん。ノルマ代の6万どうしよう?払えないよ」o(;△;)o 

 

と、大男が、大の大人が泣き出した。

 

夜中に。

妊婦起こしてまで。

真夜中に!!

毎日働きに出てる妊婦(もちろん次の日仕事)の妊婦起こしてまで!!!

泣き出したのです。

 

 

当時は、ハアハア息を荒くさせながら

大泣きする夫になんとか寄り添おうと

まさかそれがウソやとなんか微塵も思わずに

 

 

「大丈夫やよ。なんとかするよ。お金6万あったらなんとかなるん?」

と、優しく言ってしまった。

 

そして私は次の日、生まれて初めてキャッシングというものをした。

 

お金を手に入れた夫は、昨日泣いていた事など微塵もなかった様に笑っていた。

 

、、、これが、悪かった。

ほんとに過去は反省すべき点ばかりだ。

 

夫に借金させれば良かったのに、

私が頑張ってしまったんだ。

それぐらい、私の世界は夫と産まれてくる赤ちゃんの事ばかりになっていた。