借金まみれの金田なし子は、売れない芸人の嫁

このブログは、夫が一生売れない芸人でアルバイターの為、生活が苦しく子供と夫と自分を養う為にした借金を必死で返済していくブログです。

金田の不幸の種をひっぺがす!!いや、まあ、これがなかなか大変。

どうも。金田です。

 

ブログを更新すると

「待ってたよ!」とメッセージが届いたり

アクセスポイントがちょい上がったりするのでありがたいです。

 

読んで下さってる皆さん、

ほんとにいつもありがとうございます。

 

夫のライブは、沢山の方が見に来て下さいました。

 

そして、私にとって良かった事は前回のブログに書いた銀行員さんが、プライベートで会計を手伝ってくれた事でした。

 

この銀行員さん(って書くの面倒なので銀さんと書きます。)(いや、予測変換で出てくるやろっ!ってツッコミは無視して「銀さん」で通します。)

 

で、ほんまに銀さんの活躍がかなり金田の悩みを解消してくれました。

 

金田の悩みは唯一

今回のライブで新たな借金を背負いたくない!!!

 

この一点だったので、

ライブが成功しようが、なんだろうが言うなればどうでも良かったのですが、

銀さんのおかげで、1500人のところ1200人もの人に観て頂き、借金もせずに終える事が出来ました。

 

銀さんはまず夫と相方に資金を集めてから

内容を考えるという方法に切り替える事を勧めました。

 

今までは自分達のやりたい事をやって後からお金を考えるというやり方だったので、借金ばかりが増えました。

 

あまり人を信頼しない夫と相方ですが、彼にはお金に強いと言う武器があり、なにしろ説得力があり、なんだかとても頼もしく感じました。

 

彼は自分のプライベートをほぼ無くすぐらい

夫達に付き合い、何度もお金の話をして全てのお金を管理してくれました。

 

なんだかいい人過ぎて、逆に信頼出来ないぐらいよくやってくれました。

 

協力して支援して下さる社長達にも挨拶に行き、パンフレットなどに名前や会社宣伝を記載する事でお互いのウインにしようと提案したり、早めから地方新聞に掲載し、広告を地元の方に知ってもらったりと広報活動の仕方まで考案してくれました。

 

ほんとに銀さんのおかげでした。

 

夫も最初は嫌がっていましたが、

どんどんチケットが売れるのを見ていると

信頼しないわけにはいかないようでした。

 

ただ、家に帰ると必ず自分の給料が使えないのはおかしいと言う話をしてきましたが、

私は

「もう全て今月の支払いに当てました。」

 

の一点張りで強く言うでもなく、まるでそれが当たり前の様に振る舞いました。

 

 

 

ある日、仕事から帰ると夫が洗濯物を畳んでくれていました。

 

え??( Д ) 

本当に驚きました。

今まで、家事など一切知らないふりをしていた夫がなぜ?

 

今までの金田ならイヤな予想しかしませんでしたが、

 

色んな人のブログを読んで、ツイートを読んで少しづつ変化が出てきたので、

 

ただ、「ありがとう」

 

と思う事にしました。

 

以前なら手伝った事でまた何かたかられるのだろうかとか、不安が先に来てました。

そして、それを的中させるようなイヤな事を引き寄せていました。

 

夫が帰ってきたときに

「洗濯物畳んでくれてありがとう。助かったわ。」

 

とだけ言いました。

 

夫は「そうやろ。そうやろ?」

と犬みたいに寄って来ましたが、

私はそれ以上でも以下でもないという対応をしました。

 

 

すると一瞬、夫の顔が曇りイヤな予感がするのですが、引き寄せない様に頭を切り替え別の事をする様にしました。

 

やはり、一足飛びに出来るものではありません。

今までこびりついた不幸の種が私をビビらせてしまいます。

少しでも怯んだ感じになると間違いなく夫は、攻めてきます。

 

そうならないように

そうならないように

 

 

と必死に過ごしました。

 

 

 

どうも。金田です。

 

ブログを更新すると

「待ってたよ!」とメッセージが届いたり

アクセスポイントがちょい上がったりするのでありがたいです。

 

読んで下さってる皆さん、

ほんとにいつもありがとうございます。

 

夫のライブは、沢山の方が見に来て下さいました。

 

そして、私にとって良かった事は前回のブログに書いた銀行員さんが、プライベートで会計を手伝ってくれた事でした。

 

この銀行員さん(って書くの面倒なので銀さんと書きます。)(いや、予測変換で出てくるやろっ!ってツッコミは無視して「銀さん」で通します。)

 

で、ほんまに銀さんの活躍がかなり金田の悩みを解消してくれました。

 

金田の悩みは唯一

今回のライブで新たな借金を背負いたくない!!!

 

この一点だったので、

ライブが成功しようが、なんだろうが言うなればどうでも良かったのですが、

銀さんのおかげで、1500人のところ1200人もの人に観て頂き、借金もせずに終える事が出来ました。

 

銀さんはまず夫と相方に資金を集めてから

内容を考えるという方法に切り替える事を勧めました。

 

今までは自分達のやりたい事をやって後からお金を考えるというやり方だったので、借金ばかりが増えました。

 

あまり人を信頼しない夫と相方ですが、彼にはお金に強いと言う武器があり、なにしろ説得力があり、なんだかとても頼もしく感じました。

 

彼は自分のプライベートをほぼ無くすぐらい

夫達に付き合い、何度もお金の話をして全てのお金を管理してくれました。

 

なんだかいい人過ぎて、逆に信頼出来ないぐらいよくやってくれました。

 

協力して支援して下さる社長達にも挨拶に行き、パンフレットなどに名前や会社宣伝を記載する事でお互いのウインにしようと提案したり、早めから地方新聞に掲載し、広告を地元の方に知ってもらったりと広報活動の仕方まで考案してくれました。

 

ほんとに銀さんのおかげでした。

 

夫も最初は嫌がっていましたが、

どんどんチケットが売れるのを見ていると

信頼しないわけにはいかないようでした。

 

ただ、家に帰ると必ず自分の給料が使えないのはおかしいと言う話をしてきましたが、

私は

「もう全て今月の支払いに当てました。」

 

の一点張りで強く言うでもなく、まるでそれが当たり前の様に振る舞いました。

 

 

 

ある日、仕事から帰ると夫が洗濯物を畳んでくれていました。

 

え??( Д ) 

本当に驚きました。

今まで、家事など一切知らないふりをしていた夫がなぜ?

 

今までの金田ならイヤな予想しかしませんでしたが、

 

色んな人のブログを読んで、ツイートを読んで少しづつ変化が出てきたので、

 

ただ、「ありがとう」

 

と思う事にしました。

 

以前なら手伝った事でまた何かたかられるのだろうかとか、不安が先に来てました。

そして、それを的中させるようなイヤな事を引き寄せていました。

 

夫が帰ってきたときに

「洗濯物畳んでくれてありがとう。助かったわ。」

 

とだけ言いました。

 

夫は「そうやろ。そうやろ?」

と犬みたいに寄って来ましたが、

私はそれ以上でも以下でもないという対応をしました。

 

 

すると一瞬、夫の顔が曇りイヤな予感がするのですが、引き寄せない様に頭を切り替え別の事をする様にしました。

 

やはり、一足飛びに出来るものではありません。

今までこびりついた不幸の種が私をビビらせてしまいます。

少しでも怯んだ感じになると間違いなく夫は、攻めてきます。

 

そうならないように

そうならないように

 

 

と必死に過ごしました。

 

 

 

何も協力しないと決めた金田

沢山、過去の話をしましたが、

3月の単独ライブを乗り越えられるか不安で不安でたまらなかったから

 

ずっと別の話をしていました。

 

要は現実逃避してたのです。

 

でも、話す事で沢山の事が見えて来ました。

 

あ、どうも。金田です。

忘れるぐらいならこの挨拶抜かせばエエのにって思われるでしょうが、そこは1つ許してやって下さい。笑

 

 

さて、本題。

 

 

今回、金田は決めていました。

 

何も、協力しない!

 

と。

 

「何も」とは本当に「何も」です。

 

 

何があろうと

どうなろうと

チビが、私が、夫が、どういう目に遭おうとも

 

絶対に!!!

 

何も協力しない!!!

 

と決めていたのです。

 

 

 

過去のブログにも書いた様に

私は、多分産まれた時から

いらない子」扱いを受け過ぎて

 

誰かの役に立たなければ生きていてはいけないんだ

 

と刷り込まれていった感じがします。

 

母との関係、幼き頃にアル中で母に離婚された父との関係、引きこもりの兄、などなど。

 

 

ずっと、何をしてても

 

役に立たない自分の存在意義を見つけられずにいました。

 

 

だんだん、だんだん、

「私」から離れていく「私の心」がありました。

 

でも、それは

 

そうしなければならない!

 

と、いつの間にか心が命じていました。

 

 

 

今回のライブでも、案の定、夫はどんどん荒れて行きました。

 

まるでそれが当たり前であるかの様に

毎日、毎日、練習に行き、何か上手く行かない事があると帰ってから明らかに機嫌の悪い態度があからさまでした。

 

かと思えば、突然に1番クジを大量に買って来たりして、1回に何万円も使って来ました。

 

夫は、ストレス発散のために仕方がないんだ

と、これまた当たり前の様に言いました。

 

 

今回、私は初めて自分を曲げませんでした。

 

いや、今までも戦ってきたつもりだったけど、結局は、そのストレス発散の為に使われたお金やライブで必要なお金の為に夫の給料から持って行かれ、生活費は私がなんとかしてしまっていたので、

 

私が泣いて訴えようが、

チビが困ろうが、

 

結局は、夫には何一つ、響かなかったのです。

 

今回、金田は夫を説得する事はやめ、

まず、とにかく周りの人に理解を深めようと

夫のバイト先に掛け合いました。

 

夫の給料を銀行支払いにして、手渡しをやめる様にする事。

 

今までも頼んだ事はありましたが、

もう生温い方法ではアカンと思い、

銀行員さんに頼み込んで付いてきてもらいました。

 

銀行員さんはは、とても丁寧に銀行支払いにするメリットなどを説明してくれて、社長さんはすごく納得されて、夫だけでなく社員全員が銀行支払いになりました。

 

この銀行員さんですが、

金田がめちゃくちゃなお願いに行ったその日

たまたま担当してくれて最初は顔面蒼白でボロボロな感じな金田を見て、何事かと思ったそうです。

、、、が、彼はとても熱心に私の話を聞いてくれて、

 

協力します!

と言ってくれたのです。

 

なので、夫は、途中から自分が使ったお金が

給料日にもらえない事を知るとまた荒れました。

 

なぜ自分が働いたお金を自分の自由に使えないんだ?!?!

 

と怒り、叫び、

 

こんなに一生懸命ライブに打ち込み、

夢を叶えようとしているのに、なぜ協力しないんだ!!

 

と私をなじり、

チビの前で子供の様にグズり、

 

過換気症候群になり、

いつもの鬱(きっとウソ)になり

病院にも運ばれ、

 

ライブまでは、そりゃあ、

ほんとに、壮絶な壮絶な毎日が続きました。

 

 

こんなに大切なブログですが、

ブログ書いているどころでは、ありませんでした。

 

それでも、金田は

 

一切、夫には協力しませんでした。

 

夫に対し、

あなたの稼いだお金は、あなただけの物ではない事。

 

ストレス発散の為に使うお金は自由ではない事。

 

そして何より、あなたが大切にしているその「芸人としての活動」は、

 

 

 

 

仕事では、無い!!!

 

 

 

という事を言い続けました。

 

 

夫は芸人としての活動が仕事では無いと言われた事が、1番辛かったのか、

ほぼ、暴力の様な振る舞いがありましたが、

 

 

それでも一貫して協力しませんでした。

 

7歳のチビには、私の小さかった頃の思いをさせないように細心の注意を払い、

出来るだけチビの心が落ち着く様にケアしました。

 

それでもやはり、夜泣きがまた増えました。

 

それでも、私は逃げ出す事はしませんでした。

 

 

それが正しかったのかどうかは、まだわかりませんが、

 

チビがパパが必要だと答える限り、

私が夫と離れる事は無い。

 

別れるのは、いつでも出来る。

 

全部やりきってからダメなら別れよう。

 

私はまだ何もやってない気がする。

 

と思ったからです。

 

そう思えたのは、ツイッターで色んな人との繋がりを持ち、色んな意見を聞いて、

自分なりの正解を模索し始めたからです。

 

 

今までは、協力の仕方を間違えてた感じがします。

 

そして、その事をきっかけに、少しづつ夫に変化が出てきました。

お母さんに怒られる、、、そう考えて今でも震える。

私が離婚や仕事を辞めようと考える時、

必ず母の事が頭に浮かびます。

 

お母さんに怒られる

 

これが全てな気がします。

 

高校受かった時も褒めてくれなかった母。

 

就職先を決めてきた時も

「お母さんならもっとエエとこ入れたわ」

と言った母。

 

仕事を20年続けた時も

「当たり前や!」

と言い放った母。

 

それなのに、兄が母の買い物について行ったら「優しいんや。荷物持ってくれるんや。」と言う母。

 

私の妊娠がわかった時、

「結婚前に出来てしまうなんて恥さらしやわ!お前に育てられる訳ないやろ!」

と言った母

 

兄と私の扱いの差は

20年以上経った今も変わりません。

 

 

だけどやっぱり、私は母に褒められたくて

 

母の事が大嫌いなクセに大好きで。

 

でも、母に家族を感じられなくて

 

何をしてもどんな事をしていても

 

これは母に怒られる?

これは母に怒られない?

 

と頭で浮かんでしまいます。

 

役に立たなければ捨てられる

 

気にいる事をしてやっと、普通に暮らせる

 

自分の事は全て自分で解決しなければ嫌われる

 

頼れない

 

ちゃんとしろ自分

 

 

そう思いながら生きてたら

いつの間にか誰にも頼れない自分が育っていました。

 

そして、誰からも頼られる様な存在になっていました。

 

私は今まで付き合ってきた彼氏のほとんどは

私を食い物にするヒモばかりでした。

 

まあ、その中で最強は今の夫ですが。。

 

 

前からブログに出てきている彼が唯一、私が頼れる人でした。

 

彼以上の人は訪れないと確信を持っています。

 

この彼とも結局、母が原因で別れさせられたのです。

 

うちの夫は、確かに、家庭生活者としては向かないと思います。

 

金遣い荒いし、給料安いし、

人の傷つく事を平気で言うし

 

でも、最近、見えてきてるのです。

 

金田が、そうさせたのかな?って。

 

いや、別に過去の自分反省しろ!とか思わんけど、

 

気付きは、必ず行動を変えると思います。

 

この気付きに出会えたのは

ツイッターのみんながいてくれたから。

 

見ての通り金田のブログは、アイキャッチも無けりゃ文章の統一性も無い。

 

だけど、誰かが金田のブログを読んで

 

おっ!コイツなんか知らんけど

頑張ってるやん!

 

って思ってくれてポチッてくれて、広めてくれて、いつの間にやらフォロワー数も100を超え、ありがたいのオンパレード。

 

だからね、

 

夫は変わらん。

 

でも無理やり離婚するのはチビの精神衛生上にも良くない。

 

金田は1人でも生きていけるけど、

金田の子供の頃してもらえなかった事を存分にチビにしてやりたいから

 

母の様にはならぬ。

 

 

いや、まあ、考えたら

身体の関係はまだ無いとは言え彼と時々逢ったりラインし合ってる時点で、

母より酷いか。

 

母の彼氏と兄の事。

母に彼氏が出来、最初は母もギスギスした自分だけが頑張らねば!みたいな雰囲気がなくなり私にも優しくなり良かったのです。

 

金田は母に彼氏が出来る事も受け入れたし、

オンボロアパートの襖一枚隔てた向こうで夜中に母と彼氏が何かの行為を行っていても、気にせず生きていました。

 

金田が4年生ぐらいの時の事でしたので、

兄はイヤだったのでしょう。

ちょうど反抗期も重なり兄が母とほぼ口をきかない時期がありました。

 

そしてだんだん女の子から女性に近づく身体に変化していた金田に母の彼氏が気づき始めました。

 

 

なにかにつけて、母の彼氏は私の肩に手を回したり、頭を撫でにきたり、

金田は昔あったイヤな事を思い出し母の彼氏に触れられる度に吐き気がしました。

 

でも我慢しないと優しくなった母が元に戻ってしまう。

 

そう思っていました。

 

兄は反抗期が頂点の時、学校に行かなくなりました。

たぶん、兄なりに色んな期待がしんどかったのでしょう。

そして、期待に応えて良い子供だったのに

彼氏が出来た途端に期待されなくなって全てが折れたのかもしれません。

 

まだ「不登校」と言う言葉さえ無かった頃の話です。

 

彼氏に溺れる母。

母の彼氏に触れられるのを我慢する金田と

不登校な兄。

それがその頃の金田家でした。

 

。。。。。

。。。。。

 

兄はそれからずっと引きこもりです。

そうです。

もうすぐ50歳を迎えようとしていますが、

今もまだ引きこもりのままです。

80歳近い母が働き、兄を養っています。

 

完全に共依存です。

 

母は今でもあのよく出来た兄の姿を消すことが出来ず、ずっと

「いつかお兄ちゃんはすごい仕事に就くよ。

昔はよく出来たんやから。」

と言っています。

 

金田は高校卒業と同時に家を出て一人で暮らし始めました。

 

母にも兄にも頼れませんでした。

小さな頃からやっていた家事が役に立つ時でした。

 

母は彼氏とはいつのまにか別れていましたが、私は帰る気にはなりませんでした。

 

私は母の事が大嫌いでした。

いや、今も大嫌いです。

 

死なないように育ててくれてはいたけど、親としての役目を果たしてくれたかのは定かではありません。

 

それでも、私は母の事を毒親とか思えなくて、たった1人の大切な親だから

褒めて欲しくて、褒められたくて

ずっとずっと

お母さんに

「えらいね。」って言われたい為だけに

がんばっていました。

離婚後(私はいらない子の続き)

どうも金田です。

前回の続きです。

 

父と母の離婚後、母方について行った私でしたが、もう跡継ぎとか関係ないのに母からの扱いは変わらずでした。

 

私は頭が悪く足し算がきちんと理解できたのが小学校3年生ぐらいでしたので

何でも出来る母から常に

あんたはアホやから家事を出来るようになりなさい。

と言われ毎日小学校2年生の私が学校から帰ってすぐする事はお風呂洗いと晩ごはんのお味噌汁を作り卵焼きを焼く事でした。

 

 

 

母は朝から夜8時まで働いていたので

勉強を見てもらうヒマも私にかまうヒマも無かったのです。

 

 

 

一方、兄は全ての期待を一身に背負い優秀で頭の良い人でした。

 

 

 

子供だから遊びたい!でも家でお風呂洗いと晩ごはん作りがある。

どんどん勉強する時間を削り、どんどん勉強がついていけなくなっていきました。

 

それでも、勉強やってなくて怒られるのはテストとかやった時だけ、お風呂洗いしてないと日々で怒られると感じていた私は家事を優先しました。

 

 

 

いや、今考えたらもうちょっと上手く出来ただろ?

言い訳やがな!ってわかるんですが、その頃は必死だったんですよ。

小さな頭で必死に考えてそうなっていました。

 

 

 

兄は私に勉強を教えてくれた事はありません。

兄と私では確実に理解の速度が違うのです。

誰も私の理解の速度には合わせてもらえず

すっかり勉強嫌いが出来上がってしまいました。

 

それでも、家族3人笑い合う日もあって仲良く過ごしていた時もありました。

 

そう、時もありました。

 

 

母に彼氏らしき人が出来、少しづつ家の中が変わっていきました。

 

また続きます。

私は産まれた時から「いらない子」と言われて育った。

どうも、金田です。

 

この話をしなければ前に進まない様な気がして書くことにしまた。

 

 

まだ父がいた時、父は結構なお金持ちのボンボンで、今思うとアルコール依存症だったのだと思いますが、毎日毎日、お酒を飲みに行っていました。

暴力など一切無かったおもしろい父でしたが、アルコールが入ると一緒に行った人に全て奢って有り金全部使ってしまう様な父でした。

 

一方、母は貧乏な田舎育ちで働きながら定時制高校を卒業し、全て自分で賄ってきた様な人でした。

 

母はいつもアルコールでグチャグチャになる父の事を嘆いていました。

 

 

私は、なんとなく父に似ていました。

体の作りも顔も話し方も。

父の家は後継ぎが欲しかったらしいので

私の兄は産まれてとても喜ばれていました。

 

小さな時、親戚で集まる度に明らかに兄とは違う扱いを受けていました。

 

父の母つまり祖母から

「産むの男の子だけで良かったのに。女はいっぱいいるんや。」

 

と母が何度も言われているのを見ました。

 

母も私がイタズラなどした時に

「ホンマはあんたなんていらん子やったからいい子にしとかんと川へ捨てるで!」

 

と言いました。

 

私は

 

本当は

 

 

いらない子

 

 

いい子にしないと川へ捨てられる。

 

 

いい子にしないとお母さんに嫌われる。

 

 

4歳ぐらいの私の脳にはそれが刷り込まれました。

 

そののち小学生になり父と母が離婚しました。

 

その時も兄の奪い合いになった事をハッキリと覚えています。

 

父の母(祖母)と母が

とてつもないデカイ金切り声で兄の腕を引っ張っていたのも記憶しています。

 

続きます。