悪い予感と借金の渦。
どうも金田です。
チビが7ヶ月になり働き始めた私。
夫も朝も夜も働いていて、思い返せばこの頃が1番稼げていた様に思う。
そんな日が続いていたのに、
私はなぜかずっとイヤな予感していた。
昼夜問わず働く様になった夫が2ヶ月目に
こう言った。
「単独ライブをしようと思う。300人規模のデカイやつ!!!」と。
イヤな予感は的中した。
その頃ライブをやってもイベントに出演させてもらっても客が10人来たら多い方だったから300人など集められるはずがなかった。
だが、私に報告した時は、もうすでに会場も決定し、ホームページにも載せ、濃厚なファンにチケットを購入させた後だった。
それでも、それならば余計にがんばって集客するんだと発破をかけて、私も友人達に頼みチケットを購入してもらった。
飛ぶようにとはいかなかったものの、チケットは順調に売れ良い感じでライブの日が近づいていた。
「ああ、良かった。」
そう思った。
悪い予感は気のせいだったか。と安堵した。
のもつかの間、、、、
ライブ2日前に夫が呼吸困難で倒れた。
ストレスでまた前の発作が起きたのかと思ったが違う様で救急車で病院に向かうと緊急手術が必要な肺の病気だった。
長年吸っていたタバコが原因だった。
ライブ2日前。
何もかも全て中止になった。
チケットは払い戻したが、それでも色んな事にお金がかかり100万ほど足りなかった。
自分達で立ち上げた弱小事務所にそれを支払うだけの能力は無かった。
関係者からの支払いの請求。夫が組んでいる相方から執拗に支払いの請求を迫られ
私は銀行でお金を借りて、それを全て支払った。
夫はそれどころではなかった。
夫は手術後も予後が悪く身体には沢山の管が付いており話すのがやっとだった。
ライブが出来なかった事を落ち込み、体調で落ち込み、毎日暗い顔をしていた。
そんな夫に今、お金の事を言える気にはならず、とにかく元気を取り戻してもらおうと
思っていた。
チビは保育園に行きだしたばかりでストレスからか夜泣きが続き、私自身も仕事に復帰して間も無くだったので休む事も出来ず、
仕事と育児と介護は大変で、毎日一日が終わるとヘトヘトになった。
借金は銀行で借りた100万と、リボ払いに慣れきってしまった為にショッピング枠もキャッシング枠も段々と増え、この時から私は借金の渦に巻き込まれて行った。
後から考えれば、もっと色んな方法があったとは思うがその時はそれで必死だった。
なんとか家族3人また笑える日を夢見て
必死に支えていた。
お金なら働けばなんとかなると思っていた。
小休止。。。今の私 「さいみ〜さんのブログを読んで」
どうも、金田です。
超トップブロガーの「さいみ~」さんが
会社員をしながらブログで生きてく兼業ブロガーの良さをブログにしていて胸を打たれました。
https://syakkin500.com/saraly-man-good/
↑
多分これでリンクは貼れてる気がしますが
もし、貼れていなかったら各々探してみて下さい。
すみません。力がなくて。。。
さて、今回はそんなブログに胸打たれたので
一旦今までの過去の禊の流れをさて置いて、今の私の話を少ししたいと思います。
前も少し話しましたが
私には芸人の夫がいます。
彼は芸人の道が自分の人生だと思っているので、ザラに言うサラリーマンにはなりません。
いつ呼ばれても行ける様に仕事はアルバイターです。
しかし、彼には嫁(私)と子供がいます。
そして彼も私も金持ちの家に生まれた訳ではないので生活資金は自分達で調達しなければなりません。
毎度、毎度言いますが、夫の給料は8万円です。
これで!もし!私がサラリーマンじゃなかったら私達家族はとっくに餓死していたか、
何か犯罪でニュースになっていた事でしょう。
しかし!
私が毎月キチンと給料の出るサラリーマンをずっと続けていたおかげで、
今も尚、こうして生きていられるのです。
子供も飢える事なく、保育園も、小学校にも通えるのです!!!
そりゃあね、
フリーランスや、個人事業主、ユーチューバーなどでガッツリ稼げる人は良い。
その人達の事は尊敬するし、スゲェと思う。
だけどな、
誰しもがヒカキンにはなれないし、
ダウンタウンにはなれないし、
B'Zやサザンにはなれないんだよ。
日本に生きる限りは年金制度や保険制度に加入もしなきゃならんし、子供生まれたら餓死させちゃならんし、小学校へ行かさなきゃならんのだよ。
だから私は思う。
稼げてナンボやろ?って。
フリーでもなんでもええけど、生涯働ける身体と仕事、これが大事やねんって思う。
自分の真横に、自分の1番頼りたい人が
「いつかは億万長者になるから!」
とか言いながら働かへんかったらやっぱ、しんどいねん。
なんでもええから安定してよ!て思うねん。
子供のために。
私はフリーもサラリーマンもどっちもプロなら尊敬してる。
ただ、私はサラリーマンで良かった。
借金返済はもちろんやけど、
妊娠、出産、子供の病気など色んなことがあったけど、なんとか持ち堪えてんのは私がサラリーマンだからだと確信してる。
ありがとう会社。
がんばれ私。
と思ってる。
、、、、ごめん。ちょいアツくなってもた。
今日のところはこの辺で。
雨降って地固まる、、、事は無かった。
どうも、金田です。
昨日はブログ書きませんでした。
と言うのもオネショのせいで睡眠時間が2時間だったので、寝なければおかしくなりそうだったので睡眠を優先しました。
さて、本題です。
チビの入院は1ヶ月も続いた。
そのせいで職場復帰時期が危うくなり職場に伝えると、ちょうど人手が足りてる時期だから2ヶ月遅く復帰して下さいと言われた。
多分、職場は気を利かせてくれたんだと思う。
私自身も借金さえなければありがたいと思っていた。
その時はまだ借金は100万には満たなかったので、やっぱりまだなんとかなると思っていた。
夫が反省したと言わんばかりに朝と夜、バイトを始めたので、入ってくるお金は少し増えた。
これで少しづつ、本当に少しずつ生活がマシになってくると思っていた。
夫も反省し昼夜働き、チビも少しずつ元気になり、2ヶ月後には私も働き始めるから
もう、大丈夫だろう。
なんとか気持ちもお金も持ち直せると、そう思っていた。
それは私の勘違いだと思い知らされる事になるとは知る由も無かった。
お金に困ったら借金すればいいと思う病
どうも、金田です。
今、夜中の1時20分です。
チビがオネショをしてしまい、布団を濡らされた為、洗濯するのに起きています。
毎朝4時30分に起きてるのにね。
もちろん明日、朝(もう今日)もその時間に起きて弁当作って朝ごはん作ってその後8~9時間労働するのにね。
40代にはキツイですよ。ははは。
さて、本題です。
とりあえず夫とまた暮らし始めましたが、
私の中には大きなシコリが残り最初は会話も出来ませんでした。
でも、人間は良い意味でも悪い意味でも慣れる生き物で、だんだん最低限の会話はする様になっていました。
子供は5ヶ月になり私は職場復帰まであと1ヶ月と迫ったある日、
チビが夜中、高熱を出したのです。
子供が6ヶ月に近づいたら母親の抗体が無くなってくるから風邪を引きやすくなるとは思っていましたが、それにしては様子が変でした。
一晩様子を見て翌朝、小児科に行くと
「川崎病」の疑いがあるとの事で入院になりました。
川崎病とは小児の病気で、簡単に説明すると
乳幼児期に発症する病気のひとつです。
発熱や目の充血、唇の発赤、発疹など特徴的な症状が現れ重篤な合併症である冠動脈瘤
が残ると、長期的な内服薬の使用や運動制限などが必要となる場合がある病気です。
うちのチビも40度の発熱と唇の発赤など疑われる症状がいくつもありました。
チビはちょうど人見知り真っ盛りだったので
入院となると、もちろん私が一緒にいないといけない事になり、私も病院に寝泊まりしました。
まだ夫の事を信頼出来たわけではなくギクシャクしたままでまた離れて、入院中はずっと
また裏切られて女の所に行くのかもしれない
と思っていました。
子供の病気と信頼出来ない夫と、 仕事復帰間近なのに色々重なり過ぎて、私の頭は混乱していました。
そして、何より金銭面が大変でした。
子供の入院自体にはお金はかからないのですが、やはり入院となるとずっと一緒にいる私の食事が買ったお弁当になったり、色々雑費がかさんだりと費用がかかりました。
この頃の私はもう、借金を怖いと思わなくなっていたのです。
お金に困ったら借金すればいい!!
なんとかなる!
そんな風に思う様になっていました。
この後も不幸続きでお金がどんどん足りなくなるなんてこの時は思いもしなかったのです。
綺麗事ではいかないよ。だってこんなに傷だらけ。
どうも、金田です。
ツイッターを見るとアフィリで、こんだけ稼いだよ!とか書いている方もいるので、尊敬いたします。
金田のブログは日々思う事を綴っており、
皆さんに提供できるような知識もあまり無く、いっぱい稼げる様なブログではありません。
でも!きっとどこかの誰かの役には立ちます。
日本の関西にこんな家族がいて、
こんな風に生活しているというサマは
きっと誰かを勇気付けると信じています。
さて、本題です。
私が、鬱になっても死ななかったのは、
やはり、子供のおかげであり、子供のせいです。
夫と別居中に、1人で何もかもやってたら
ある日、チビが私を見ながら
ニコニコと笑い始めたのです。
「アパーアパー」と喃語を唱えながら
ニコニコと笑うチビを見てると、
私が死んだらこの子を夫の元に渡す事になる。
それはイヤだ。それだけは嫌だ!!
でも戸籍とは悲しいもので私が死ねばこの子の親は夫なのです。
この子を夫やあの義母が育てるぐらいなら
鬱など通り越して、私が育ててやる!!
そう思いました。
それから夫は、女と別れた事と、
バイトを2つする事にした事などを報告に来ました。
芸人は辞められないけど、家族を幸せにする為に必死で働くと。
心を入れ替えたと言うのです。
私の心は、もうすっかり荒んでいて夫を許すと言うより、今なら優位に立てるという思いから、また生活を再開した様に覚えています。
実際、私の中にこの頃の記憶が曖昧で
脳が忘れようとしたのか、なんなのかわかりませんが、思い出そうとすると
キッチンに綺麗な夕陽が射す中、私は1人、食事も作れず立ち尽くし、号泣し、隣の部屋でチビがいる。という場面が何故か俯瞰で繰り返し思い返されるばかりなのです。
それぐらい辛い日々が続きました。
でも、この時はまだ借金金額も少なく働き始めればなんとかなると思っていました。
二つめのターニングポイントも間違えた選択をした。
どうも金田です。
台風一過ってどこへいったのでしょうか?
昔は台風から一夜明けると爽やかな晴天が広がり、みんな外へ出て落ち葉の片付けをしながら近所の人と「台風凄かったね~」なんて言いながら乗り越えた話をした一体感がありましたが、今はなんか、台風過ぎても晴れませんね。
気分も晴れません。
さて、本題。
私はこの時の事を今も後悔している。
子供がわけわからん内に別れるべきだったと
あれから何かがあるたびに思う様になった。
浮気をされて、義父、義母の前で夫に怒り狂い、もう何もかもが嫌になった私は、夫と一緒にいたくなかったので夫を実家に戻らせ赤ちゃんと2人マンションで1ヶ月過ごした。
1ヶ月の間に、ずっと疎遠だった友達に会いに行った。
結婚した事も妊娠した事も知らせてなかったが、友達はみんな私が子供を産んだ事を知っていた。
そりゃあ、こんなに小さな町だからバレない方がおかしいのだけど、
友達はみんな私が何も言わないのが何か理由があると思い追求せずにほっといてくれていた。
友達のありがたみと、優しさが身に沁みた。
みんな私の事を信じてを待ってくれていた。
ただ、その時の私はもうすでに夫と別れて赤ちゃんと死のうと考えていたので友達の優しさが痛かった。
毎日の様に赤ちゃん連れで友達と遊び周り
帰ったら真っ暗な部屋で泣きながら過ごす。
躁と鬱の繰り返しの毎日だった。
赤ちゃんを育てる環境には1番相応しくない状態だった。
赤ちゃんには離乳食を作らなければならなかったけど、キッチンに立つと夫と女のメールのやり取りが頭に次から次へ浮かんできて、
立てなくなって号泣する、、、の繰り返しだったので離乳食はレトルトに頼らざる得なかった。
私自身は大食いをしてみたり、吐いたり、
麺類ばかり食べたり、大量に服を買ったりと
リボを利用してお金を使って行った。
、、、どうせ死ぬんだし。
そればかり思った。
だけど、まだ生きるのにも執着していて保育園を探したりしていた。
夫は毎日、玄関前に謝りに来て手紙を入れてまた実家に帰る生活をしていた。
まあ、7年経った今も表題にあるが如く「芸人の嫁」なわけで、そののち私達夫婦はやり直すのですが、その時の傷はまだ私の脳裏に焼き付いています。
許せたかと言うと許せていないのが本当の気持ちです。
この浮気の後、まだまだ不幸が続いていくのです。
浮気をされると妻がどうなるかわかりますか?
どうも、金田です。
台風被害や震災や、こう自然災害のニュースが続くと自分の辛い話をしていいのかと思い悩みます。
人と比べても仕方ないとは思ってるのですが、こんな私の悩みなどちっぽけなものなんだろうなと。
だけど、書かずにはいられないし、
やっと吐き出す場所を見つけたのでどうか読んでやって下さい。
では、本題を。
夫の浮気に悩みながらも、すぐ問いたださず相手のことを色々探っていると様々な事がわかってきました。
実は浮気女は、元カノだったのです。
元々、その女と先に付き合ってて、なんやかんや上手くいかなくて喧嘩や何やらしてたところにたまたま現れた私。
夫は、その女と別れ話までいってたので私にモーションをかけ、私と付き合う様になったが、女は別れたとは思っていなくて喧嘩の後仲直り出来ると思ってたらしい。
なので女は、夫が結婚した事も子供が出来た事も知らなかった。
そして何より問題は、
ずっと続いてた事だった。
ファンに知らせたくないからと言われたのも実はウソで、この女に知らせず二重生活を続けたいと思っていたから。
単独ライブの金も一部はこの女と遊ぶ為の金だった。
つまりは、私の方が後釜だった。
、、、、私は発狂した。
許せなかった。
義母にも沢山酷いことを言われたが我慢したのに。
赤ちゃんも1人で一生懸命、朝も夜も無く育てていたのに。
義父、義母の家に行き、
夫を呼び出し
知り得た全ての情報をA4用紙にプリントアウトして机の上に叩きつけた。
抱っこ紐で前向き抱っこしていた赤ちゃんが
その叩きつけた音に怯えて泣いていたのを覚えてる。
寒い日だったのに私の手は汗だくで涙が次々溢れてきて悔しくて苦しくて
もう何もかも終わりだと思った。
赤ちゃんと死のうと思った。
耐えられなかった。
自分から好きになった訳でもなく、すごく言い寄ってくるから付き合い、2回の行為で子供が出来、結婚する事になったのに、義父や義母に認めてもらえず、誰にも内緒にし、
それでも耐えてきたのに、
最初から、最初から夫は私を裏切っていたのだから。
話し合いは夜中まで続いた。
途中赤ちゃんにミルクをあげたりオムツを替えたりしながらの話し合いは情けなかった。
あんなに強気だった義母もなんだかオロオロしていて、それはなんかスッとした。
元来、私は平和主義者で人と争うのが大嫌いだ。自分が我慢しさえすれば上手くいくのであればずっとそうしてきた。
でも、これは人生最大に怒りを見せた。
そしてその頃もう、借金は当たり前の事になっていた。