綺麗事ではいかないよ。だってこんなに傷だらけ。
どうも、金田です。
ツイッターを見るとアフィリで、こんだけ稼いだよ!とか書いている方もいるので、尊敬いたします。
金田のブログは日々思う事を綴っており、
皆さんに提供できるような知識もあまり無く、いっぱい稼げる様なブログではありません。
でも!きっとどこかの誰かの役には立ちます。
日本の関西にこんな家族がいて、
こんな風に生活しているというサマは
きっと誰かを勇気付けると信じています。
さて、本題です。
私が、鬱になっても死ななかったのは、
やはり、子供のおかげであり、子供のせいです。
夫と別居中に、1人で何もかもやってたら
ある日、チビが私を見ながら
ニコニコと笑い始めたのです。
「アパーアパー」と喃語を唱えながら
ニコニコと笑うチビを見てると、
私が死んだらこの子を夫の元に渡す事になる。
それはイヤだ。それだけは嫌だ!!
でも戸籍とは悲しいもので私が死ねばこの子の親は夫なのです。
この子を夫やあの義母が育てるぐらいなら
鬱など通り越して、私が育ててやる!!
そう思いました。
それから夫は、女と別れた事と、
バイトを2つする事にした事などを報告に来ました。
芸人は辞められないけど、家族を幸せにする為に必死で働くと。
心を入れ替えたと言うのです。
私の心は、もうすっかり荒んでいて夫を許すと言うより、今なら優位に立てるという思いから、また生活を再開した様に覚えています。
実際、私の中にこの頃の記憶が曖昧で
脳が忘れようとしたのか、なんなのかわかりませんが、思い出そうとすると
キッチンに綺麗な夕陽が射す中、私は1人、食事も作れず立ち尽くし、号泣し、隣の部屋でチビがいる。という場面が何故か俯瞰で繰り返し思い返されるばかりなのです。
それぐらい辛い日々が続きました。
でも、この時はまだ借金金額も少なく働き始めればなんとかなると思っていました。